番組への
メッセージ

2017年1月16日(月)『ごきげん千里837!(やぁ、みんな)』

みなさん、こんにちは。
ごきげん千里837」月曜日、
中野寛成さんと共にお送りしている中村佐織です。

先日の寒波、
皆さんのお住まいの地域は大丈夫でしたか?

水道が凍結したり、
列車のダイヤが乱れたりと、
日頃雪に慣れない関西人としては
雪が嬉しい半面、
ちょっと積もっただけでもあたふた。

うっすらとしか積もっていない
アスファルトの上の歩くのも怖々でした。

スキー場など、年末年始苦戦したところでは
やっと営業できるようになり、
まさに恵みの雪といえそうです。

さて「唄って!寛成さん」のコーナー。
童謡や唱歌をアカペラで披露していただいています。

今週は「夢路より夢見る人)」。

1862年、フォスターが作曲した歌曲。
本人の死後まもなく発表されました。

「おおスザンナ」や「金髪のジェニー」などと
並んで有名な曲ですね。

フォスターは37歳の若さで亡くなっていますので、
晩年といってもまだ30代のことですが、
妻と別居しニューヨークの安宿で
安酒をあおり堕落の生活を送っていたそうです。

その頃、南北戦争が勃発。

戦争が始まるとフォスターの曲の
大切な発表の場であった
「ミンストレル・ショー」が行われなくなり、
収入も徐々に減っていきました。

また、フォスターは北部側の人間だったため、
南部の人間から疎遠にされるようになったばかりでなく、
黒人をテーマに扱ったり
黒人訛りの歌詞が多かったために、
奴隷反対の北部からも
拒絶されるという板挟みにもあっていました。

結果、精神的にも経済的にも
切羽詰まったフォスターは1864年、
ホテルで大量出血して倒れているところを発見され、
その3日後病院で息を引き取りました。

20年間でおよそ200曲もの作曲をしたフォスター。

とても優しく、郷愁を誘うメロディが
印象に残る曲を多く残しながら、
自身の最期はあまり幸せでなかった
というのはあまりにも悲しい一生ですね。

このコーナーでは、
そんな曲の背景や作者のことについても紹介しながら、
寛成さんのアカペラで歌をお届けしています。

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「唄って!寛成さん」のコーナー、
来週もお楽しみに!


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帽子とジャケットが同じような柄で
シックにまとめたファッションで登場した寛成さん。

まるで示し合わせたようなお二人。

とってもお似合いです^^♪



『ごきげん千里837!(やぁ、みんな)月曜日』
パーソナリティ 中野 寛成・アシスタント 中村 佐織