番組への
メッセージ

2017年3月25日(土) 旭堂南陵のなにわ友あれ

旭堂南陵のなにわ友あれ
アシスタントの畠山 美咲です。
3月25日の放送はお聴きいただけましたでしょうか?

ちょうど今日から124年前の1893年は
大阪から神戸間で電話が開通した日!
大阪では、五代友厚によって電子産業は発展していきました。

今はあってあたり前の電話ですが、
昔の人はあまり仕組みが分からなくて、
「届けてくれるんちゃうか?」
と電線にお弁当を結びつけていた人がいたそうです笑

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今週のなにわことば

一つ目は”竹の子”
「竹の子」と聞けば、FM千里のキャラクターのこりん!!
…ですが、もちろん竹の子その物の事ではありません。
包帯やゲートルを巻くときって、
ずれないように何回か折り返しますよね。
その折り返しの部分を[竹の子]といいます。

「竹の子にしといて!!」と言われたら
包帯の折り返しだと思ってくださいね!

二つ目は”こめちゃん”
これはメダカのことです!
由来は、小さい(こんまい)魚からきているのでは?とのこと。

メダカの由来も教えていただきました!
昔は今みたいにガラスの水槽はなかったので、
入れ物に入れて上から鑑賞する魚でした。
上から見たら、目が高く見えるから「メダカ」とよばれたそう。
※出目金も上から観る用に改良されたました!

川にメダカが泳いでいた昔の優しい風景が
今では失われてしまって悲しいと師匠はおっしゃっていました。

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美咲のこれなんですのん
”大阪城”です。
誰でも知っている大阪城!
知っているようで知らない話をしていただきました。

大阪城といえば太閤秀吉のお城!と言われますが、
今ある大阪城は3代目で大阪の市民が建てたんです。

豊臣秀吉が築いた天守閣は1615年の大阪夏の陣で落城します。
徳川家が、その上に石垣と2代目の天守閣を築くのですが、
1665年にまさかの落雷で天守閣焼失。
それから260年間は天守閣がありませんでした。

昭和になり、大阪の町の人達の寄付で
今の3代目の大阪城が築かれることとなりました。
今私たちが見ている大阪城の石垣は徳川家のものでも
天守閣は大阪の人達が建てたものなんですね!
また、今は二の丸までしかありませんが、
かつてあった三の丸は空堀商店街の方まであったそう!
とっても広いお城だったのですね。

城には欠かせない石垣を作る際に必要な巨大な石は
大きくて重くて運ぶのがとっても一苦労!!
そのため大阪城まで運ぶのを断念して
そのまま置き去りになった巨石が数多く残っています。
名前もまた面白い!その名も「残念石」

日本橋北詰のあたりには
残された残念石を彫って作った
安井道頓・道トの紀功碑 が置かれています。
あの石は大阪城の石垣になるはずの石だったんですね…
そう思うと、考え深いですね。。。

大阪城にまつわる色々なお話を聞けました!

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さて、旭堂南陵のなにわ友あれは開始から一年!
なにわ言葉と大阪にまつわる事や、知らなかったなにわのお話など
色々と師匠のお話をお送りしてきましたが、
なんと今日で最後の放送となりました。

いちえさんからバトンタッチでアシスタントをさせていただきましたが、
少しは大阪人らしくなれたかな?と思います。

あのなにわ言葉は何て意味だっけ?と思った時は、
師匠のお話を思い出してくださいね♪

今までお聴きいただき、ありがとうございました!!



『旭堂南陵のなにわ友あれ』
毎週土曜日 午後2時30分~3時放送中!