こんにちは(‘ω’)ノアシスタントの桜山 結子(さくらやま ゆうこ)です。
現在療養中のばんばさんからメッセージをいただきました。
「6/9に自分でも驚くほど元気に退院しました。
検査も含めて30日間の不安と心配の連続の病院生活でした。
コロナも重なったので入院中のフロアから外へ出る事は厳禁だったので
気分は重く追い詰められました。
6/2私の生死が決まる手術は約2時間全身麻酔で行われました。
豚の心膜を使った人工大動脈弁(アメリカ製)と取り換える手術です。
術後は集中治療室で一泊。朝食を平らげ、自力でトイレに行く事も出来ました。
そしてイチビラないように気を付けながらおさえおさえの経過観察後、
退院許可が出ました。
自分の命、他人の命、生物の命、地球の命などを大切にしていきたい!」
と力強いメッセージを頂きました。
無事退院本当におめでとうございます。
さぁ、ばんばさんの元気なお顔をそしてお声を沢山の方が待ってます!
無理せず、でも早く元気なお姿を拝見したいです。
次に、「玉秀斎さんに聞く」 のコーナーです。
講談は長い時間お話する事の多い職業です。
どうやって集中力を保たれているのか伺ってみました。
講談をしている時のイメージは
“電話の向こう側の人に物語を伝える事”だそうです。
物語を自分の頭にイメージしながら語るそうです。
よって、集中力が途切れてしまう事は
“その物語(イメージ)が面白くない”という事になると言われていました。
集中力を保つ事は“自分が面白いと思える様にする事”が大事だそうです。
勉強や仕事でもなかなか集中力を持続させるのって大変ですよね。
何かしら“面白いな”というものを自分なりに見つけてみて取り組む事がいいようです。
最後は、 「起死回生・一発逆転エピソード」 についてでした。
メッセージを下さった皆さん、ありがとうございました。
とても素敵なエピソードをお持ちで凄いなと思いました。
実は、ラジオの放送日の前日、6/12(1560年)は
歴史上の戦いでもっとも有名は起死回生の戦い“桶狭間の戦い”が
起った日でした。この桶狭間の戦いとは当時の大物大名今川義元と
まだその時は小大名だった織田信長の戦いです。
勢力が違うのは勿論ですが家柄もかなり格差があったそうです。
今川義元は代々続く大きく強い大名家、
方や織田信長は言わば“ぽっと出” でした。
これだけの力の差のある相手になぜ織田信長が勝利できたのか、
それは諸説ありますが、“忍者”の活躍があったのではないか
と玉秀斎さんが話して下さいました。
実は織田信長は自分の忍者を今川義元の陣に入れていました。
その忍者が色んな情報をもたらしてくれる中で京都に向かう途中に
桶狭間でどうやら休憩をする様だと情報が入ります。
実は桶狭間という場所は、幅の狭い場所でした。
そこで織田信長は、これは横から攻めたら勝てるのではないか
と考えます。その時“俺についてこい”とだけ家臣に叫び出発します。
どこに行くのか、何をしに行くのかも告げずに向かいました。
この理由、織田家の中にも今川義元の忍者がいた事が
わかっていたからです。織田信長の掛け声だけで付いてきた
織田の精鋭達と共に桶狭間の両サイドから
今川義元を責め見事に首を取りました。
この歴史的勝利で織田信長は“起死回生”ギャンブル的勝ち方のイメージが
付いている部分もありますが、実は他の戦いでは
綿密に考えられた戦いをしていたそうです。
あの日偶然にも幅の狭い桶狭間で休憩するという事が起らなかったら
私たちが知っている織田信長は存在しなかったかもしれません。
さて、次回は 「あなたのまわりの暴れん坊」 を募集します。
ご自身のエピソードでもOKです。皆さんのエピソード聞かせて下さい。
お待ちしています(‘◇’)ゞ
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