番組への
メッセージ

2015年10月14日(水) 北千里アワー・水曜日

『こんにちは!
北千里アワー水曜日のマヨネーズこと井川茉代です♪
今週もお聴きいただきありがとうございました。

今週の【やってんねん関大!大阪まち探し】
ゲスト、は深井麗雄先生

『関西大学野球部100年の軌跡と79年目の軌跡』についてお話頂きました。
ある尋ね人広告をきっかけに起きた奇跡のエピソードです。
発端は、今年1月、ハワイの日本語新聞や
ラジオで流れた「尋ね人広告」でした。

広告を出したのは、ハワイ大学コミュニテイ・カレッジ
名誉総長のジョイス津野田幸子さん(77)。
探し相手は「こいで さぶろう様」でした。
関大野球部は1936年(昭和11年)、ハワイに遠征しましたが、
この時のエースだった西村幸生選手の長女が幸子さんです。
西村選手は関大卒業後、大阪タイガース(現阪神)に入団、
巨人キラーとして活躍しタイガースの優勝に貢献しました
が、太平洋戦争で戦死しました。
西村選手たちは、
ハワイに遠征したときのボールボーイの少年に、
お礼のサインボール3個とチーム18人のサイン帳を贈りました。
その後半世紀以上たった2002年、
このサイン帳のコピーが突然ハワイから関大に届いたのですが、
何人かの人を経由していたため、差出人は特定できず、
かろうじてわかるのは名前が「こいで さぶろう」さんらしいということ、
黄熱病研究で有名なことだけでした。

このサイン帳の存在を知ったのが、
今年1月の創部100周年記念式典に招かれた幸子さんです。
「父はフイリピンで戦死したとされているが、遺骨も返されず、
せめてハワイ遠征までした戦前の父たちの様子を知る人を探したい」
そう考えた幸子さんは、ハワイ遠征した西村たちの世話をして
サイン帳などを受け取った元ボールボーイを探そうと決意し、
少ない手がかりを元に広告を作り、ハワイのメディアに流しました。
そして名乗り出たのが、サミュエル・コイデ博士(91)だったのです。
ニューヨークに住んでいる博士。
ハワイの実家に住む弟から新聞広告などで
幸子さんが自分を探していることを知らされました。
実は、その弟さんは、地元(ハワイ)の檀家のお坊さんから
「あなたのお兄さんのことではないか?」と教えられたのだそうです。
その後、長年大切に保管していた
西村選手らのサイン入りボール3個は幸子さんに届けられました。
いくつもの奇跡が重なった出来事だったのですね。

深井先生は、このお話から読み取れることのひとつに
“お坊さんの存在の重要さ”があるとおっしゃっていました。
確かに、お坊さんが尋ね人広告の存在に敏感に反応しなければ、
今回の奇跡は実現しなかったといっても過言ではありません。
ハワイの日系人のコミュニティは、30~40年前の日本のようなものだそう。
古き良き、コミュニティが残っているのすね。
山田洋次監督の『男はつらいよ』の中でも、狂言回しのような、
そして問題が起きたときに助け船を出してくれるのは、お坊さんでした。
昔のコミュニティでお坊さんは重要な役割を果たしていたのです。
“現代社会では、お坊さんではなくても、
そういった存在の方が現にいらっしゃるのではないか、
また、必要なのではないか”と深井先生。

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今回の話題は
一見、まち作りとは関係のないようにも思えますが、
地域のコミュニティという視点からも、学ぶところが沢山ありました。
深井先生のお話を聞いていると
わたしもまち作りついてもっと知りたい、
いろんな視点から可能性を探ってみたい!!と欲が沸いてきました。
次はどんなお話が聞けるのか、とてもたのしみです!!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

マヨネーズのぶらりは、
【江坂朝市in豊津公園】に行って来ました♪

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夏の間はお休みでしたが、
毎月第二日曜日に行われている朝市。
新鮮な野菜や果物が並んでいました‼
戦利品は、銀杏♪♪
みなさんも、ぜひ訪れてみてくださいね♪
それでは、また来週の水曜日にお耳にかかりましょう♪♪』

『北千里アワー・水曜日』
毎週月曜日~木曜日午後4時~6時ON-AIR中♪
(北千里サテライトスタジオ)