毎月第1土曜日は、ばんちゃんが取材先に出向きぼらぼ~ら!
今回は初の高槻市に行きました(^^)/
今城塚古墳がある今城塚古代歴史館を紹介しました。
取材当日、摂津富田に降り立ったディレクターとばんちゃん。
バス停がわからず迷子!( ̄▽ ̄;)
高津式市営バス乗り場は駅前ロータリーではなく、少し離れた場所に
あるのでご注意を・・・。
そんなてんやわんやを乗り越え、降り立ったのは今城古墳前です。
整備され、散歩やレジャーシートを広げてのんびりされる方も・・・。
再現された古墳では、実際に並べられていたのと同じように
レプリカの埴輪が並んでいます。
さて、移動しまして今城塚古代歴史館へ到着です。
7年ほど前に開館し、常設展示室は無料の歴史館を学芸員の今西さんに
案内して頂きました。この館の特徴は映像やジオラマがたくさんある事です。
今城塚古墳は長さ180m、6世紀ごろに作られたものでその当時の
最大の規模であることや出土品などから継体天皇の墓と推測されています。
陵墓に指定されていない事で、宮内庁の管轄ではなく文化庁の管轄のもと
国の史跡であり、しっかり発掘し調査しそれを国民に公開する責任があります。
継体天皇はなんとばんちゃんと同じく滋賀県高島市出身、そのため
自分の勢力基盤がしっかりある淀川沿いに勢力を広げ、最初に都を建てたのも
枚方だったそう。この今城塚古墳が高槻にあるのも、継体天皇の自分の故郷
(琵琶湖)からの水系に対する強い想いがあったからではと言われています。
まずは古墳以前の時代(旧石器時代~弥生時代)の紹介からスタート。
進んでいくと、三島郡で一番古く邪馬台国時代に作られた古墳から
出土した三角縁神獣鏡や農工具などの展示があります。
そして古墳といえば、はずせない埴輪が登場します。
もともと壺を置く台だったものが簡略化された円筒埴輪↓
円筒埴輪は古墳の周りに置くことで「結界」の意味を持っていたと
考えられます。今城塚古墳では6000本の円筒埴輪が設置され、そのうち
2000本が石室のあった円側においてあります。
この石室側に設置されたもの全てに「舟」のマークが入っているのが
今城塚古墳最大の特徴で、天皇からの命を受け全ての埴輪職人が
同じマークを入れて焼いたと考えられます。
埴輪は、古墳から南東にある新池遺跡という場所に
大きな埴輪工場(焼き窯)を構えそこで焼いたものを運んできたと考えられます。
今城塚古墳には、祭祀の様子を埴輪で表したゾーンがあり
歴史館では実際にその埴輪を見ることができます。
王宮をイメージしたもので、65mに渉って張出が特設され4つの区画ごとに
それぞれ意味のある埴輪が置いてあります。
巫女の埴輪は、日本で5例しかない足の形が描かれたもので
くるぶしまで表現されている大変珍しいもの。
家の形の埴輪は同じデザインのものはひとつもなく、全部違います。
こちらは3つに分けて焼かれたもので、それぞれを別々に運んで
古墳で組み合わせたと考えられます。別々にするとひずみもできるため
ここまでぴったりと合うのは相当な技術なんだとか。
残念ながら盗掘と伏見地震によって、石室はかなりのダメージを受け
石棺、副葬品はほとんど残っていません。
石棺は3つあったとされ、それぞれに復元品があるのですが
継体天皇が入っていたと考えられる阿蘇ピンク石の石棺は、高槻市民の
皆さんと一緒に復元されました。重さ6.8トンもあるものを当時はどうやって
九州から運んできたのでしょうか・・・。
盗掘の際にばらばらに砕かれた石棺の一部は、近くの用水路の
橋に使われていたそうです。ですがあまりにもその橋での事故が多いため
住民がお寺に納めました。お寺で歴史館の関係者がその石を見て
これは石棺の阿蘇ピンク石だと発見!今では入り口に帰ってきて展示してあります。
この他にも、古墳を造る際に非常に重要となった測量の様子、中の構造、
そして石室の上に葺石を並べる作業のジオラマなども展示されています。
とにかく見どころが多すぎて到底3時間の放送では紹介しきれず・・・、
古代のロマンに触れ、新池遺跡や他の周辺の古墳も取材に行きたい!と
ばんちゃん。恐らく古墳第二弾、第三弾と続きそうな予感でいっぱいです・・・。
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【飛び出せ!のこりん隊!!】
辻 夢華 ・ 宮山つつじ園
『馬場章夫のぼらぼら千里』
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