こんにちは(*´▽`*)アシスタントの桜山 結子(さくらやま ゆうこ)です。
最初の話題は、「山奥ニートの不思議な日々」についてでした。
和歌山の山奥に元々は5人だけの集落がありました。
しかしそこに十数人の若者が暮らすシェアハウスがあります。
家賃や水道代は無料、その他の生活費は月に2万円です。
シェアハウスの若者達は、都会の生活に傷つき、逃げるようにやってきた人たちです。
この場所で動画を見たり、マンガを描いたり、
ギターを弾いたりしてまったりと過ごしています。それだけでなく
元々この場所で暮らしていたお年寄りの方々の出来ない力仕事や
福祉関係の仕事を手伝い頼られる存在になっているそうです。
現在日本の過疎化と呼ばれる地域は全都道府県の47.5%もあるそうです。
コロナの影響もあり今の生活に疲れている人がさらに増えているかもしれません。
もしこの和歌山県シェアハウスの様な場所がもっともっと増えると
色んないい事がありそうですね。
シェアハウスはただ安いだけでない
人と人とのつながりを色んな形で創ってくれる場所のようです。
シェアハウスとは、
「一つの住居に複数人が共同で暮らす賃貸物件」を指す和製英語です。
日本での歴史は1980年代〜1990年代に、
日本で住まいを借りることが難しかった海外から来た人たちに対して、
借り手が少なかった寄宿舎を一棟借りして、部屋貸していた業態に端を発するようです。
助け合い精神から生まれたシェアハウスはこれからも素敵に進化していきそうです。
続いて、キッズ先生のコーナーでした。
朝からコーンスープとウインナーを食べて元気に登場。
早速GWの過ごし方について聞いてみました。
大阪市内にあるコリアタウンにお父さんと行ったそうです。
先生は韓国アイドルのファンという事もありお買い物をしたり
トルネードポテトを食べたりして楽しんだそうです。
続いてGWの宿題について、課題は何でもOKの“自主学習”がありました。
先生は世界の103個の国旗の絵を色鉛筆で描きました。
頑張った甲斐あって先生に提出すると教室に貼られたそうです。やった!
最後は、ちょっと話が飛んで嫌いな食べ物について。
“ブロッコリー”と声を大にして答えてくれました。
そしてきっぱり、食べる努力はしないと潔く話していました。
年齢を重ねると嫌いなものが好きなる事もあるので
将来は食べられるようになるかもしれませんね。
因みに豚骨ラーメンにブロッコリー入れて食べるのがオススメです。
最後の話題は、「カメラと写真のはじまり物語」でした。
GWだったのでカメラ好きのばんばさんに、カメラについて色んな事を伺いました。
今回、一番の衝撃が“カメラ”と“写真”は別もの!という事でした。
普段私達は、ここだ!と思った瞬間にシャッターを切り、
現像をして写真を楽しんでいますがこの様になるまでには
とてつもない時間と何人もの人達の努力で出上がっていました。
まず、カメラの誕生は紀元前3世紀ごろ!すごーく昔に誕生していました。
16世紀、ヨーロッパの画家たちは壁面に小さな穴を空け、
反対側の壁面に外の景色が映し出されるという
暗室(カメラ・オブスクラ)が使われていました。
その後カメラ・オブスクラには小穴の代わりにレンズが取り付けられ、
より鮮明な像が得られるようになりました。
さらに反射鏡によって箱の上面に像を結ばせるようにした
小型のカメラ・オブスクラが作られた。
これは絵画の遠近画法を正確に描く為に使われていました。
ここまでは、カメラの機械のみです。
この後は写真のすり出しが考えられます。
1826年、仏のニエプス兄弟が、アスファルトを感光材料にして、
およそ8時間もかけて1枚の写真を撮影しました。
その後の1839年は、仏のルイ・ダゲールが、
銀メッキした銅板を感光材料として使う“ダゲレオタイプ”という技術が誕生します。
これにより、露出時間は30分程度に短縮されました。
当時は今の写真よりも鮮明な写真な白黒写真がとれていたそうです。
カメラは、本体が作られ、写真のすり出しが考えられて、その後レンズの改良がされて、
現在のカメラが出来上がっています。
何の気なく押していたシャッターも歴史を知ると押す度に
感謝の気持ちが芽生えてきますね。
今回は歴史の話でしたが、カメラはまだまだ気になる事があります。
身近な存在なのに知らない事だらけのカメラ、
もっともっと知りたくなってきました。
以前番組内でカメラの話をした日の朝
「馬場さん、その荷物どうしたんですか?!」
「これ? カメラ カメラ!!」
『ばんちゃんのコレラジオ キクキク』
毎週土曜日10:00~正午まで放送中!