こんにちは(*^^)vアシスタントの桜山 結子(さくらやま ゆうこ)です。
最初の話題は、
「終戦から76年、ばんばさんの当時の思い出」についてでした。
ばんばさんは昭和20年当時6歳でした。
御親戚なども戦争に出兵していったと話して下さいました。
当時の記憶ではとにかく食べ物が無かった事が思い出されるそうです。
24時間いつでも食べ物の手に入る現代からするとそれだけでもとても壮絶です。
そして、一番当時で悔やんでいる事があると話されたのが、
当時疎開でやって来た同級生をいじめっ子から守る事が出来なかった事。
どうしてあの時に止める様に言わなかったのか、
勇気が出なかったのか70年以上たった今でも
申し訳ない気持ちでいっぱいだったと言っていました。
戦争の影響は子供達の人間関係にも悪影響を与えます。
そして一番怖かった事を聞くと、
戦争中ではなく大人になって行った海外の島での光景でした。
その場所は、アメリカ軍と日本軍が戦い多くの日本兵が亡くなった場所です。
そして、ばんばさんが行った当時、亡くなられた日本兵の遺骨が
そのままになっている所があったそうです。
昭和20年に終戦してもまだ完全には戦争が終わっていないと感じたようです。
時の流れと共に戦争の記憶がどんどん薄れる事はとても怖い事です。
一年に一度8/15にだけでも黙祷をして、
消して繰り返してはいけない事を今後も心に刻んでいこうと強く思いました。
最後の話題は、百名水「御手洗池」でした。
御手洗池は、石川県七尾市三引町にあり「赤倉神社」の敷地内にあります。
そのため、周辺の住民は「赤倉神社のお池」と呼ぶこともあるそうです。
この水は、周囲の田んぼなどに水を張る際に利用されています。
御手洗池は、赤蔵山(179m)から流れる伏流水を源流としています。
この池は、聖武天皇の皇太子の眼病治療に使われていたという伝承が残っています。
透明度がとても高く、池の中には鳥居がありその奥に神様がお祀りされています。
御神木の様な大きな木がこの池の上に横たわっていて、池の中で鯉が泳いでいます。
ばんばさんもおっしゃっていましたがとても神秘的で
他の場所とは違い気温の差を感じるほど不思議なパワーを感じる場所だそうです。
また、“池が濁ると翌日は雨が降る”と言われる話もあります。
この池は、戦国時代、戦に破れた武将が愛馬と共に身を投げた
という伝説も残されています。
武将が身を投げてからというもの、
元旦の未明になると赤い鞍が池に浮かび上がるようになり、
そこから“赤鞍(赤倉)”という地名が生まれたという話があります。
また、梵語でアカ=水、クラ=つまっていると言う意味だそうで、
“水がつまった場所”という意味からこの名前がついたとも言われているそうです。
御手洗池には藻などが繁殖しているため、煮沸しなければ飲むことはできません。
pH値は約7で、ほぼ中性、温度は15~16℃です。
御手洗池の底からは、毎日600tもの水が湧き出ているといわれています。
味は、ばんばさん曰く “飲みやすい” “奥の方に苦みがある”
“気持ちのいい味” がしたそうです。
今は行く事が難しいので写真を見て私は行った気分になりました。
とても神秘的な雰囲気満載の“御手洗池”ぜひ行ってみたいです。
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