こんにちは!SENRI・STREET 月曜日担当の本田かおりです。
11回目の放送はいかがでしたか。
今回は、
「千里ニュータウン情報館オンラインセミナー
第2回万博輸送と北大阪急行」についてお話ししました。
千里ニュータウン情報館オンラインセミナーは、
3回講座で今回は2回目でした。
ちなみに、1回目は「自動改札機開発秘話」ということでした。
この回は聞く事が出来なくて残念に思いました。
主催は吹田市立千里ニュータウン情報館で、
運営協力は一般財団法人千里パブリックデザインです。
ZOOMを使ってのセミナーで、
定員は90名でしたが結構参加されていました。
講師は、万博グッズコレクターの白井達郎さん、
聞き手は千里ニュータウン研究者の奥居武さんです。
世界最大のイベントのお客さんを運べ!工期わずか1年7ヵ月。
今や千里の大動脈となった北大阪急行の誕生の物語。
貴重映像も!というコンセプトで進めていきました。
最初に、貴重映像として北大阪急行の建設状況をまとめたビデオ
「未来へ走る 新しい鉄道」を見ました。
万国博覧会開催時には「万国博急行」と言われた、
北大阪急行の記録はもとより、万博が開催されるまでと、
開催されてからの様子を見る事ができました。
万博開催時の私は3歳でしたが、その時の記憶はしっかりあり、
父がセレモニーなどで演奏するときは、
いつも母に連れられて会場を訪れていました。
その時のことが思い出されて、感慨深かったです。
北大阪急行の建設は、容易でなかったことがわかりました。
作業効率の改良、ロングレールの採用や建設される新御堂筋との
調和を図れるような構造が施されていたと聞き、
今の様子を思い出しながらの映像は、とても興味深かったです。
一番の難工事は、名神高速道路と交差するところで、
緻密な検査をしての作業でした。
名神をなるべく止めずに危険を伴う中での作業で、
名神のバス停などを利用して少しずつ橋梁を伸ばしていきました。
最後の作業は、名神を2時間だけ止めて行われ、難工事は成功に終わりました。
着工から1年7か月で完成し、
ものすごい速さで輸送体制をとったのはすごいことだと思いました。
江坂駅から万国博中央口駅が、昭和45年2月24日に開通して、
その年の3月15日に万博が開催されました。
千里中央駅から万博会場線は、
万博の閉会後に撤去することを前提として建設されていて、
地形を利用してトンネルを作る工程がありました。
当時の千里中央駅は仮駅であり、
今の千里阪急ホテルの近くにあったそうです。
万博開催中には今の駅舎は完成していて、
閉会後にすぐに切り替えたそうです。
桃山台駅から千里中央駅に行く途中で、
万博へ行く線路の名残が車窓から見えるので、注意して見てみてください。
ちなみに、線路の跡地は、会場線廃線跡のうち地上部分は
中国自動車道上り線に転用されて、
トンネル部分は資材置き場として現存しています。
万国博中央口駅は現在の大阪モノレール万博記念公園駅の
すぐ北側の中国自動車道上の位置にありました。
建設構想の中に、万博開催後の千里ニュータウンへの
輸送するための電車との位置づけがあったそうで、
阪急千里線との兼ね合いもありました。
今から思うと、壮大な思いがあって未来へ続くための
プランを実現させたのだなと思いました。
万博開催中の大量輸送により、建設費用などが十分償還できたので、
今の北急の運賃が安いのはその理由だそうです。
セミナーの最後に、講師の先生方が持っておられる
お宝資料を見せていただきました。
北急の公式パンフレットや様々な資料がありました。
それと、新御堂筋には信号が一か所あるなどの情報や、
当時の写真と現在の写真を見せていただき、
こんなに変わったのだなと思いました。
近々、その場所を訪ねて見たいと思います。
セミナーは約1時間30分の中身の濃い時間でした。
主催をされた吹田市立千里ニュータウン情報館は、
阪急千里線南千里駅下車すぐの「千里ニュータウンプラザ」2階にあります。
千里ニュータウンを知るための常設展示や資料の閲覧などできます。
運営協力をされている一般社団法人千里パブリックデザインは、
千里ニュータウン情報館のサポートや
千里ニュータウンの「まちづくり」の文化的記憶・記録を継承し、
将来に向けた千里のまちづくりと広く国内外のニュータウンや
郊外都市のまちづくりに寄与することを目的として活動をされています。
次回のオンラインセミナーは、
令和3年12月19日14時から15時30分で
、テーマは「大阪モノレールと31年」を開催予定です。
「千里ニュータウン情報館オンラインセミナー
第2回万博輸送と北大阪急行」をご紹介させていただきました。
来週もお楽しみに!
『SENRI・STREET』
月曜〜木曜日13:00~14:00放送中!