豊中市の待兼山で約40万年前に鰐がいたのは、
有名なはなしですね。
マチカネワニなんて、かわいらしい名前もついています。
その頃に体積した、砂や石、粘土は“大阪層群”として、
私たちの住んでいる、大阪平野の地盤を作り、
それは数十万年の間、ゆっくりと地殻変動を起こし、
隆起して千里丘陵、豊中段丘を形成してきました。
私たちが生きていくうえで厄介な地震は地球には生きている証なんですね。
そんな、今まで地球が生きてきた証拠を、豊子市西緑丘で見ることができます。
水平に体積していった層が、
地殻変動で隆起して、垂直になり、縦ストライプの崖になっています。
それは“少路の崖”とか、“西緑丘の垂直の地層”と呼ばれています。
現地は冊がしているだけで、表示もなく土砂に埋もれかけていました。
貴重な資料。もっとみんなに知ってもらって大切にしていきたいですね。
後半は豊中市の兄弟都市。沖縄県沖縄市について紹介しました。
皆さんは沖縄市の“コザ”についてどんなイメージを持っていますか?
私は行ったことはないのですが、若者の街、ディープな沖縄って思っています。
この“コザ”の地名。
コザ市は合併して沖縄市になるまでは日本初、カタカナ市 だったんですよ。
でも、その地名の歴史はとても沖縄らしい重さを背負っていました。
1945年9月。その年3月末から始まった沖縄戦により、沖縄にはたくさんの避難民がいました。
米軍政府の管理下にあった沖縄の人たちは“収容所”に入れられていました。
その収容所がある地域ごとに本島で12の市がつくられました。
その中のひとつが“胡差(コザ)市”だったんですね。
でも資料によっては“古謝”だったり、“胡屋”だったり。
あげくはスペルの転記ミスという説も。
結局、帰村許可により市の人口は激減し、
市は消滅しましたが、やはり、耳にしたものは残るものなのでしょうか。
1956年コザ村誕生。翌年市に昇格したんだそうです。
地名を調べると、その地に生きる人の、文化や歴史が見えてくるものなんですね。
水曜日担当 ☆深堀康子☆
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